Nishida's diary

トリニータを中心にいろんな試合を。

白黒しないモノを求めて

今の世の中は曖昧さを許さない。白か黒かのコントラストを競い合い、グレーなんて認めない。「清濁入り乱れた」 なんてのは綺麗ゴトなんだから、と、言われてるような刷り込まれてるような気がする。

 

でも、人生で白黒ハッキリしてる コトってあまりないし、息苦しさを何処かで感じてる気がする。だからこそ曖昧さってのはとても大切だと思う。自分も、幼少期の夢なんてのは漠然とわからなかったから「わからない」と書きたい。が、 それでは浮いてしまうので、とりあえず筆を執り、 将来の夢の欄に「公務員」とか「サラリーマン」 とかと書いていた。多分、子供ながらに誠実さ、正直であることの美徳とホンネの折衷案でかつ、大まかであり(つまり逃げ道があり)、みんなが書いてそうなイジりにくい、無味無臭を求めた形がそ れだったと思う。

 

しかし、 そんな曖昧さを許容する場はどこにでも転がっている訳もないから、何処かで欲求不満を抱え込みなら生きているのが今の社会なんじゃないかと感じる。だから囲いを作ってその中で思いの丈をぶちまける。これができるから何処かで安堵して、息苦しいフツーの日常を、少し肩の力を抜いて過ごしていけるのだと。

 

だが、世の中でそんな一息つける場は、いろんなモノ・コトが溢れているこのご時世。これといったものは探し求めても十中八九見つけられない。多分、ひょんなことから「あ、ここの居心地がいいな」と 思える場所は見つかるのだと思う。SNSなんてのもネットという囲いがあるから、他人の目がないと錯覚して好き勝手やってると炎上騒ぎになる。ここでもまた、白か黒かという社会に引きずり戻される……
居心地が良くて、自分にあった場所なんてなかなか無いのだ。

 

 


前置きはかなーーり長くなったが、自分にとって一息つける場所、 社会の目をなんとなく気にしないでいられる場所はスタジアムだ。 そこには一種の神秘性があって……ってのを読んだことがあり、とても共感できた。コンクリの冷たい檻に囲まれた無機質なハコが時に1つの大きなうねりとなって、人々を興奮の坩堝へと誘う。 不思議なモンで、テレビでは決して味わえないあの場所の、 あの空気感を、刺激を何処かで求めていて、それがあるから頑張れる。

 

2018年。今年は分岐点だ。ワールドカップイヤーであるし、J リーグの25周年である。
今年も育成と成績、カウンターとポゼッションなど外野はとにかく 白黒ハッキリさせたがるが、そこに答えなどない。そんな薄っぺら いコトを話したいのではないのだ。その曖昧さを抱えたままで、ス タジアムで何を表現してくれるのか。それを見たい。感じたい。
どんな試合が胸を揺さぶるのかはいざ知れず。だが、その興奮は何事にも変えられない。だからそれをただただ求めたくて、また、スタジアムへ脚を向けるのである。


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